周防大島おかだ歯科医院院長のブログ

今までたどった道を振り返ってみます。公開していますが、基本自分のために書いています。

美保基地は小学生の通学路

f:id:flhf187:20210730174120j:plain

航空自衛隊美保基地裏門(88年)

 小学校の通学は、行きは自衛隊の幌付トラックの荷台に乗せられ、自衛隊の敷地内を突っ切って行った。帰りは自衛隊の敷地内を特に集団下校するわけでもなく入口で守衛に敬礼して、基地内をバラバラに歩いて帰った。基地内の床屋に行く子や、空手を習う子など、敷地内に子供がいるのが当たり前だったと思う。ある時年上の子にそそのかされて、親の財布から金を取って、基地のバーで買い食いしたことがあり、親にバレて恐ろしく叱られた。

 思いおこすと、弟はそんな悪いことはしないから、自分だけ厳しくされたのは仕方がなかったのかもしれない。

 自衛隊の広大な敷地でおもちゃのソフトグライダーを飛ばした青い空と緑の芝生が懐かしい。

 美保基地は米軍の駐屯地だったため、米軍の建物をそのまま使っていて、どこか異国情緒があった。私の住んでいた家は、『幸せの黄色いハンカチ』の健さんが住んでいるような所だったが、私の父よりも位の高い親の子は、二階建ての広い庭付きの家に住んでいた。その子の誕生日に招かれて行くと、おしゃれなドレスを着て、らせん階段を微笑みながら降りてきた。柳ジョージの『青い瞳のステラ、1962年夏、、』がイメージにピッタリくる。小学校1年生だったけどね。