周防大島おかだ歯科医院院長のブログ

今までたどった道を振り返ってみます。公開していますが、基本自分のために書いています。

月刊 『冒険王』と『ぼくら』

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防府北基地官舎跡地

上の画像は歯科医師会の仕事で山口市に行った時に撮ったもの。

仕事が済んで時間ができると時々ここに来て、母親の思い出に浸って帰る。

 私は4,5歳の頃、幼稚園が怖かった。境港市の美哉幼稚園もいやだったが、特に防府市の中ノ関幼稚園の黒い背広を着た大きな園長が怖かった。近付いたことも何か言われた事もない。遠目に見てゴア様のようで怖かったというだけで、私が超臆病者というだけの事である。防府北基地の官舎から自転車の荷台に乗せられて園まで行っても、母のスカートの裾を握りしめて離さず、そのまま帰った。優しい伯父さんが連れて行ってくれたことがあったが、優しいのだから当然一緒にUターンして帰った。

 私は4,5歳にして不登園児になり、自宅で引きこもった。

 

 幼稚園に行かなくても、自衛隊の官舎は、当時何十世帯も狭い所で一緒に暮らしていたので、同じ年ごろの子供はたくさんいて、遊ぶも何も、とにかく一緒だった。

 でも、自転車に乗れるとすぐに近所の子を轢いたり、椅子が首から抜けなくなったり、かけっこすればオーバーランして川に落ちたり、隣の庭の物を持って帰ったり、十円持って移動販売のバスに天ぷら買いに行ったら金を商品の間に落として立ちすくんだり、なんとか幼稚園に行っても『可愛いコックさん』というダンスを覚えず保母さんにキレられたり、運動会で三角帽子をつけたらアゴ紐で嘔吐がついて一人立ち尽くしたり。もたれかかってきた子を払いのけたら転んで骨折させてしまったり、、、

 悲しいエピソードは尽きない。

 

 

 母は初めての子育てに自信を無くした。

 

 

 恐ろしい園長が、『この子は偉くなる。』と言ってくれたことが唯一の支えだったそうである。園長先生が落ち込んでいる母に根拠のないその場しのぎの言葉をかけたものだと思うけれど。

 

 そんな母が当時4,5歳の私に買ってくれた本が『月刊まんが冒険王』と『月刊まんがぼくら』である。わけがわからん。就学前の幼児に月刊まんがとか与えるか?

 スカートめくりとかエッチなネタまである。

 

『ごんぎつね』より先に『スカートめくり

』を知った子が良い子に育つわけがない。

 

小学生1年の時にはクラスのほとんどの女子に『ボイン』だとか『ナイン』だとか言っては怒る女子から逃げて遊んでいた。悲しい。

時が今なら親に知れ、ネットで吊し上げられ、社会から抹殺され、二年生にはなれなかっただろう。

 

あ、スカートめくりなんてしたことないですよ。まんがで『正義の味方』も学びましたから。