一時は熱い気持ちでCGソフトに取り組んでいたのですが、最近はなんか暇つぶしみたいな感覚です。このインターフェイスのどこをつついても状況が変化するので退屈することはありません。でも、もっと早く作れるようにならなければ作品ができるまでに人生が終わってしまいます。
スキーでコブ斜面に入ってて派手にズッコケました。
やっちゃいました。肉離れです。
板が外れる前に左足ふくらはぎに痛みが走り、その後まともに歩けなくなりました。
中国地方では生涯雪上転倒回数ならトップクラスの自信があり、年寄りなので解放値をもっとゆるくしておくべきでしたが、すでに遅し。
子供たちに相談すると、安静、固定、圧迫、冷却ということ。
その中の固定、圧迫を取入れて、また次の日からコブに入りました。
雪の上だから冷却も効いてるはずです。
急斜面の高速カービングターンも、なんちゃってツリーランも面白いのですが、一つひとつ異なる凸凹に合わせて瞬時に全体のバランスとスピードを制御しなければならないコブ斜面も、失敗すればひどい目に会う恐怖があるからこそまた誘われるのです。
ずっとほったらかしにしていたブログに久しぶりに記事を書きます。
今年は1月に買ったCINEMA4Dという3Dアニメーションソフトにかかりっきりで
ブログは忘れていました。
何せ年に8万円以上する高いソフトだし、それなりにハイスペックなパソコンを買わないといけなかったので、もし使いこなせなかったら全て台無し。
高い釣り具を買ったり、温泉にでも行った方がよかったってことになるので、年前半はそれなりにプレッシャーがありました。
本屋で説明書を買って取り組むのですが、そんなに売れるジャンルじゃないから説明書のバージョンが古く、ただでさえ難解なのに変にてこずります。
60歳寸前というお爺さんでもあるので、『ええ歳してやめとけ』という心の声もします。
まあ、いつやめても良いという楽な状態でもあるので、面白いと思える間はやるでしょう。授業や講話など、それなりに使う機会も与えられています。
幸せなことです。 上は最近作った動画です。何もかも全部一人で作ってます。
昭和30年代男ならフォークギターを手にした人は多いと思う。
中学校入学当時はフォーク全盛期で、誰かが録音したカセットテープを友人で回して、楽しんだものだ。
なごり雪や神田川というような情感たっぷりの歌にはスリーフィンガー奏法などのしっとりとした分散和音が合うので、一生懸命練習した。
しかし、『二人で行った横丁の風呂屋~』『キャベツばかりをかじってた~』
『顔の皺は増えてゆくばかり~』などの歌は人生これからという中学生が聴くにはあまりに暗すぎた。
大学の専門課程に入る時、前述の幽霊屋敷を出て、個人宅の二階に間借りしたのだが、風呂はなく、部活後に汗と泥にまみれて銭湯に行ったものだ。
少し早い時間に銭湯に行くと、高確率で全身入れ墨のおじさんたちと一緒になった。
平然を装っていた私だが、内心は縮みあがっていた。それほど広くもない風呂場に5,6人の入れ墨衆と私。小さな石鹸がカタカタ鳴りはしないが、恐怖で歯がガチガチいった。
私は湯舟に入っていたのだが、早々に出るといかにも逃げ出したように思われるので、必死で平然な振りをしていた。
当然入れ墨衆も湯舟に入ってくる。
『兄ちゃん、、、』 一人が私に話しかける。
『はい。』と私。
次に何がくるのか? 私が何か気に障ることをしたろうか? まさか仲間になれと言うんじゃ?
『ぬるくないか?』と次の言葉。
その後私がどう答えたかは記憶にない。
大学は小倉の町にあり、歓楽街の丸源ビルの深夜喫茶のウェイター、風俗街近くのコンビニ店員、〇△団事務所の近所の家庭教師、田川方面の運転手などのバイトをしたため、恐ろしい体験をいくつもした。
何の話だったか、またわけがわからなくなった。
そうそう、貧乏を礼賛するような四畳半ソングに浸っていてはいけないとだんだん思い始めたのだ。だいたいこんな歌を作って大儲けしてるなんてまちがってる。
そこで私は四畳半ソングに別れを告げ、聴いたのは吉田拓郎だった。彼の歌は貧乏くさくないし、元気がいい。アルペジオをパラパラやるより、ギターが壊れるくらい激しく腕を振るストローク奏法が元気が余っている中学生にピッタリだった。
ところが上には上があって、ギターにアンプをつないで爆音を鳴らすロックンロールなるものが聞こえてきた。
中学校の時には完全にかぶれてしまい、音が出てるのかどうかわからないレベルのなんちゃってベースだったけど、学芸会でバンドもやった。
高校生になるとやや安直なロック熱も醒め、更に高尚なジャンルに趣味を変えた。
石野 真子 ちゃん である。
離れの二階で勉強してて彼女がテレビに出ると、大声で母が呼んでくれた。
彼女は毎日忙しくてろくに睡眠が取れていないと、彼女が書いた本にあったので、、
、、当時ゴーストライターの存在など知る由もない。
真子ちゃんが寝不足で頑張っているのだからボクも勉強を頑張ろう!
と本気で思っていた。田舎者の純真な私。
私は楽器が好きだ。子供がブラスバンドにいたこともあり、この20年くらい中毒のように楽器や楽譜を買ってきた。で、消化不良で医院の屋根裏行きになっている。このストックは捨てずに時々降ろして使っている。
私が楽器や音楽がいくら好きでも、いくら弾いても、なかなか深く楽しむことができないのは、子供の頃に音楽を真面目に勉強しなかったからだろう。
思えばサッカーや野球も同じ、筋肉ばかり使って、頭を使わなかった。
ある時、釣りの上手な親戚のおじさんに、『いやー、釣りは下手でなかなか釣れません。』と、軽口を言うと、
『それでいいんじゃ。』
私には意外な返答だったので、心に残った。
今考えると、何もかもできなくていいじゃないか、ということかなと思っている。
仕事で頭を使うことは実に多い。
頭を使って診断、方針を立てた後、ものすごく気を使いながら筋肉を使う。
話は45年前の安下庄中学校の音楽室に変わる。
当時、掃除といえば雑巾がけ。はじめは白い雑巾も一度バケツに入ると灰色の物体に変わる。音楽室の漆喰の白壁にはアーティスティックな濡れ雑巾の跡がいくつもあった。
御多分に洩れず、私も濡れ雑巾で床を拭いたり、投げたりしていた。
ある時、女子の気を引こうとして、女子の方に向けて濡れ雑巾を投げた。
濡れ雑巾が空中高く音楽室を回転しながら飛んでいるまさにその時、女の音楽の先生が入ってきた。
先生は見るなり顔色を変えて私の方に詰め寄り、言った。
『岡田君! 昔の武士なら女子に手を上げるなんて切腹よ!!』
後にも先にも切腹を申し渡されたのはこの時だけである。普通二度言われることはないが。
この私に切腹を命じた先生は開業以来ずっと来てくれている患者さんである。
もしこのことがばれたらどうしようといつも思う。
ジャンバルジャンの気持ちである。