周防大島おかだ歯科医院院長のブログ

今までたどった道を振り返ってみます。公開していますが、基本自分のために書いています。

赤いカーペット

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下宿内観

 先日お話しした幽霊屋敷の続編です。お話ししたように6畳一間に真っ赤なカーペットです。貧しい食生活がわかります。

 これは前にお話しした当時国東に住む幼馴染のいとこが、遊びにやってきて盗撮したものです。

 六畳一間の貧乏長屋で、白壁と柱の間から隣の明かりが漏れ、布団の中にいながら、明日の時間割を隣の同級生に確認することができました。ボチボチ学生もワンルームマンションに住み、DCブランドやメンズファッション誌が注目され初めていた時代です。

 公立だけど歯科大なので、親の平均所得レベルが高く、新車とともに入学してくる者もいる。ガソリンも飲み代も無制限に親のツケという者もいました。

 皆が持ってる電話もないし、クラブに入っているから孤独を感じることはなかったけれど、古い木造の家にいるのは物寂しいものでした。

 雨の日に一人、木枠の窓を開け、揺れる楓の葉っぱを見ていたことがあります。

 吉田拓郎の『元気です』を聴くと当時が甦ります。

美保基地は小学生の通学路

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航空自衛隊美保基地裏門(88年)

 小学校の通学は、行きは自衛隊の幌付トラックの荷台に乗せられ、自衛隊の敷地内を突っ切って行った。帰りは自衛隊の敷地内を特に集団下校するわけでもなく入口で守衛に敬礼して、基地内をバラバラに歩いて帰った。基地内の床屋に行く子や、空手を習う子など、敷地内に子供がいるのが当たり前だったと思う。ある時年上の子にそそのかされて、親の財布から金を取って、基地のバーで買い食いしたことがあり、親にバレて恐ろしく叱られた。

 思いおこすと、弟はそんな悪いことはしないから、自分だけ厳しくされたのは仕方がなかったのかもしれない。

 自衛隊の広大な敷地でおもちゃのソフトグライダーを飛ばした青い空と緑の芝生が懐かしい。

 美保基地は米軍の駐屯地だったため、米軍の建物をそのまま使っていて、どこか異国情緒があった。私の住んでいた家は、『幸せの黄色いハンカチ』の健さんが住んでいるような所だったが、私の父よりも位の高い親の子は、二階建ての広い庭付きの家に住んでいた。その子の誕生日に招かれて行くと、おしゃれなドレスを着て、らせん階段を微笑みながら降りてきた。柳ジョージの『青い瞳のステラ、1962年夏、、』がイメージにピッタリくる。小学校1年生だったけどね。

口腔がん

 先日2年前に私が歯肉のがんを見つけ、口腔外科へ紹介した患者さんが再来院された。

最近の検査で数値等全く問題ないそうで、ご健康そうで良かった。

 開業して28年になるが、私ががんを見つけた患者さんは境界型も含め覚えているだけで7名になる。個人歯科医院では多いのではないかと思う。

良性のものは数えきれない。

 開業した頃は、見つけても手遅れなことが多かったが、最近は助かるケースばかりである。医療技術の進歩は目覚ましく、がんは今や治る病気になっていると感じる。

私の経験から感じるのは、そこにがんができた理由がわからない事が多いということ。

 義歯でしょっちゅう舌を噛んでいて発症したケースがあったが、それ以外は清掃状態が悪いわけでも、歯が尖っているわけでもなかった。

 この事をある口腔外科の先生に聞くと、同感されていた。

 口の中に何か異変を感じたら、ためらっていないで早く受診した方が良いです。

 話は変わりますが、口内炎にレーザーを当てる行為は、病態がわかりにくくなり、発見が遅れるので、やめた方が良いと思います。口内炎は、初期のがんとの鑑別が困難だからです。塗り薬、貼り薬、または何もせず様子をみて、10日も同じ所が治らなければ受診しましょう。

 

ピッキングニュアンス

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ソロ部分

 私達が中高生の頃、音楽の流行はフォークからロック移行期だった。かなりの率で男子の部屋にはギターがあったと思う。

長い間やめていたが、イーグルスが再結成し全国ツアーをした時、また弾き始めた。

 自分には音楽センス、素養が血筋的にもないのがわかっているが、どうしてもやめきれないタバコのように、時々ギターに手を伸ばしてしまう。

 で、ソロのコピーをやろうとするのだが、かっこいい!素敵!と思う部分のニュアンスが出ず、放る。

 しかし書店で楽譜を買って、また弾く、の繰り返し。

 上のマークの部分がそう。ネットで調べると、いるいる、同じようにここが良いというヤツが何人も。しかも丁寧に弾き方を教えてくれている。ありがたい、ホントに助かる。

 というわけで今日もここを練習してる。こんな事やってもなんにもならずバカみたいだが。

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レスポール1959エイジドリイッシュー

 

スキー板

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スキー板

小学校入学前後の頃鳥取の境港にいた。雪が積もり休校という日もあるほど積雪があり、放課後は空き地の小山でジャンプ大会をしたものだ。小学校2年の末には島に引っ越したので、スキーはそれ以来しなかったが、大学の時再開した。右は家にある板。

スキー板にも色々性格がある。

一番左は筋力のない人にも優しいがスピードは危なくて出せない軽自動車のような板。

左から2,3番目は欠点のないオールマイティな一日中付けていられる板、国産エコカー。次は雪を噛んだら離さないレーシングカー。思った通りに軌跡を描くが、いいかげんな走りはできず疲れる、ポルシェのよう。一番右は高速安定性が高く、飛ばせば飛ばすほど板が喜ぶ。普通のウェアーが邪魔になる速度で競う、十分な体重と筋力が必要な新幹線。

二人の子供がスキー部だったので得た知識。

鳥取の頃はストックは柄は竹、ストックの先の輪っかは籐細工、スキー本体は木で、ストーブで灰色のワックスを溶かして滑走面に塗り付けていた。ブーツじゃなくてビニール長靴、ビンディングはつま先の方からアキレス腱のまわりにスプリングを渡した簡単なものだった。

島に来てからは、竹を焼いて屈曲させた自作スキーでお宮の裏山の斜面をひでっくんやあきら君と滑り落ちた記憶がある。やってる事は貧相かもしれないけど、ものすごく楽しかったんだな、きっと。

マイケルジャクソンが巨万の富を得ても手に入らなかったもの、自分は得ているんだ。

 

下宿

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下宿

数年前大学サッカー部の同窓会の際、住んでた所に行ってみると、なんと下宿が残っていた。玄関には裸電球が揺れ、当時から幽霊屋敷と言われていた。あまりに陰鬱なので部屋に真っ赤なカーペットを敷いたが、血の海のようで逆効果だったかもしれない。

 

右の小屋は風呂。奥が大家さんの家。1万2千円の家賃が滞ると、おかずを持ってきてくれた。

大学1年の時、彼女を連れ込んでいたら、彼女の父親と兄貴と伯母さんがやってきて中央に見える玄関のドアをガチャガチャと開けようとして、死ぬほどビビったことがある。その時私達が中でどんな状態だったかはここでは言わないが、私達は今でも幸せに暮らしている。

 

草刈り

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チェーンソーと草刈り機

歯科医院経営に欠かせない物がこのチェーンソーと草刈り機だ。これらの扱いもなかなか深いものがあって面白い。部品の交換など、機械をいじるのは楽しい。ただ、油断すると指が飛ぶので気をつけなければならない。子供の頃、急斜面で杉の木の伐採をしていて枝打ち用の鎌を持ったまま転んで指を怪我して病院に行ったことがある。今もそのあたりは麻痺している。