小学校のグラウンド。当時ここで何百人も昼休みに遊んでいたなんてもうイメージできない。
ドライブで島を訪れる人にとっては瀬戸内のハワイで、頭に流れるのはフラのメロディーなのかもしれないが、私にとっては、どこへ行っても国破れて山河あり、の趣である。カーペンターズのイエスタデイワンスモアか青春の輝きが似合う。さすがに荒城の月ではない。
小学校卒業時に渡された通知表の結果はふがいないものだった。小学校の集大成がこれかと情けなくて、奥の滑り台の所に当時あった相撲場で一人で泣いた。今考えると、悔し泣きする資格があるほど勉強などしてなかったクセに、やはり妙なマセ方をしている。情操教育の前に性教育をした母親のせいだ。なぜパトラッシュの前にパンティを教えたんだ?まあ本人はその気はなかったろうが。
そんなクセのある、可愛いとは程遠い私を担任の古川先生はまったく怒ることなく見守ってくれた。怒っていたのかもしれないが、父親に比べたら手が出ないのだから何でもなかった。本当に小学生の頃は言いたい放題やりたい放題、限界まで醜さを発揮したと思う。その意味ではやり切った感がある。
ここまでブログを書いていて思い出した事がある。
小学校ではどこでも卒業時の文集に、将来なりたい職業を書くものだと思うが、自分は『医者になりたい。』と書いた。成績はひどかったのに、恥ずかし気もなく。
それを読んだからであろう、古川先生は卒業後、医者に関する本を二冊、私の家まで届けてくださった。それなのに私は、、、、何もせず、、、
私がワンパクし放題だった小学校4,5,6年の担任はずっと古川先生だった。
先生ありがとう。本当にお世話になりました。